映画「花火思想」という思想

足立正生(映画監督) 

 

 「花火思想」を観て、実に多くのことを考えさせられて、楽しかった。

 そこには、バンドを組んだ若者たちが、熱心に練習を積み重ね、やがてブレイクする日を夢見ながら、いじましくも真っ当に生きている。現実感が溢れている。

 ところが、ちょっと変なのは、映画は、若者たちは激しく楽器をかき鳴らすことも無く、ボーカルで絶唱することもない。つまり、バンド熱中している生き甲斐であるはずの演奏シーンよりも、つまり、演奏そのものよりも、演奏時間外のメンバーの生き様丁寧に描かれて行くのだ

 実は、奇妙なことだが、演奏ミュージックが聴こえないために、映画全編に彼らの息遣いであるミュージックが逆に響き続けているような錯覚に身を委ねて観続けることになる。

 私は、この映画を観ながら、昔、東京の巷で出会ったのアーティストたちを思い出していた。彼らは、決して絵筆を握ろうとしない画家、一行の文章も書かない小説家、一篇の詩も書ない詩人、呟くだけで決してないオペラ歌手などだ。彼らはお互いに「無表現」でいる現実の生き様を認め合い、絵画や詩情や歌劇の世界について可能な限りの模索を繰り返し、自分なりの時空間の中で、その苦行のような模索で得たイメージを断片化したり組み立て直したりしながら、押しなべて静かに生きていた。生きる意味すらも、自分のアートの中に盛り込もうという思想に生きていた。

 そう考えながら観ていると、「花火思想」に出て来るバンドの若者たちは、絶え間なく練習し、自分たちの音を紡ぎ出そうとして論争し、対立したり分裂したりする。実に熱心に生きようとしている。昔のアーティストたちと同じように、苦闘しながら自分たちそのものを音の中に見つけて生きようとしている。

では、昔のアーティストたちと現代のバンドの若者たち生き様の違いは何なんだろうか。いや、差異などはある筈ないと思って、更に「花火思想」の語り口の中に入って行

 すると、昔のアーティストたちが、キャンバスに向かって絵を描く自分をも表現のうちに組み込もうとして、ボディペインティングを始めたり、街に出て清掃運動ボランティアのごとく街路を掃き清めて回ったり、自分が作り上げた仮想共和国の紙幣と日本国銀行券を交換(発行売却)し続けて、段ボール箱一杯の日本の千円札抱えて、自分は酒を飲む金もなく赤貧の極みを生きていたりした。

 その昔の生き様と、今の若者たちの、自分たちのミュージックが評判を呼び、ヒットチャートに入らないと生きがいにつながらない現実には、一般受けしないと生き甲斐に到達できないという、差異のようなものが大きく横たわっているように思える。

 しかし、今の若者たちの誰もが、やがてヒットチャートに入れるとは限らない。すると、日々の精進修業のように練習だけを繰り返す生き方自体がアートそのものだと思わないと、

 昔のように、アーティストとしての生きる思想を実行していることにはならない。

 私は、映画「花火思想」は、現代の若者たちが生きる上で抱えている困難や悩み、そして苦難や絶望は、そのように自分の生きている姿であること、生きるという思想をそこで確かめないと生き続けられないということを、主張しようとしているように思えた。

 つまり、生活のストレスや生きている中で抱えたトラウマは、今、ここから先へ向かって生きて行くための大きなエネルギーではないのか、と主張していることに気づいた。

 若者よ、大いに悩もうよ、ストレスは殺すなよ、君のトラウマは君にしか分からない命の源ではないか、とサケんでいる映画なのだと、「花火思想」の思想を読んだ。

 さて、私も昔の友人たちの思想と共に、大いに若者ぶって自分思想を叫ぶとするか。

 

 

 

あだち・まさお

1939年生まれ。日本大学芸術学部映画学科在学中に自主制作した『鎖陰』で一躍脚光を浴びる。大学中退後、仲間と自主制作「銀河系」を制作監督。同時に、若松孝二のプロダクション性と革命を主題にした前衛的なピンク映画の脚本を量産する。監督としても1966年に『堕胎』で商業デビュー。1971年、若松孝二とパレスチナに渡り、『赤軍-PFLP・世界戦争宣言』を撮影し自主上映運動を展開1974年、日本赤軍に合流し国際指名手配される。1997年にレバノンで逮捕抑留され、3年の禁固刑ののち日本へ強制送還。2006年、赤軍メンバーの岡本公三をモデルにした『幽閉者 テロリスト』を発表した。昨2013年には山形国際ドキュメンタリー映画祭に審査員を務めた。